たとえば
- 田仲哲也
- 2017年10月31日
- 読了時間: 4分
たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならんだ
言わずと知れた浅野いにお作「ソラニン」に出てくるタイトルと同名の歌の一節である。芸大生特有のサブカルクソヤローに憧れる期間をもれなく自分も過ごしたので浅野いにおさんの漫画は大体読んだ。しかも立ち読みじゃなくて大体買ってた。同漫画が映画化されることになり、かつ主題歌は「ソラニン」。しかも演奏するのは一番好きなバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」。そんなこともあって浅野作品の中でも一番思い入れがある。ミーハー全開だな。思い入れがあるだけで浅野さんの作品で一番いいとは思ってないけど。個人的には「ひかりのまち」の方が面白いと思う。それは別にいいのだが一昨日ソラニンの新装版が発売された。別に買わなくていいかなーなんて思っていたら「浅野いにおによる後書きと本編のその後を描いた第29話が収録されています!」だってさ。商売上手だな~と思いながら夜0:00まで開いているヴィレッジ・ヴァンガード瀬戸店までせっせと買いに行ってきたのだ。書店じゃなくてヴィレバンに買いに行くってところがまたサブカル臭くて辛い。おれそんな芸大生芸大生してないのに。とまあ本編を軽く読み流してお待ちかねの加筆の第29話である。読んだ感想はまあ、ね。って感じ。たとえ漫画の中のキャラクターであってもみんな幸せだったらおれはそれで良いのだ。後書きは2ページ程。オマケの29話よりこの後書きの2ページの方がずっしりときた。種田の事故の原因について作者が割とハッキリと言及してるからだ。納得する人納得しない人もちろん別れるだろうがおれは凄い納得した。真似はしないけど。種田と同じように、死ぬにはまだまだやり残したことが沢山ある。もちろん29話に種田は出てこないが作者が「作画中もほとんど種田のことを思い出さなかった。」と言っているように「その後」のストーリーは驚くほど種田を感じさせるものが無い。やっぱり死んでしまった人はそこで止まるのだ。それと相反するように残された人たちはどう足掻いても進んでいくのだ。進んでいってしまうのだ。
なぜ今日はこんなにもこの漫画に躍起になっているのか。それは劇中の種田たちと自分がとうとう同い年になってしまったことに気付いたからだ。漫画内の設定では「社会人2年目」と出てくるので正確には一学年上ではあるが23歳であることには間違いない。漫画を読んだのが高1ぐらいの時だったはずだからもう7、8年経ったわけだ。当時この漫画を読んで何を思ったかは全く思い出せ無いが今自分は種田と同じようにいろんなことを辞めてバンドマンになろうとしているわけです。運命ですかこれは~とか思うような思わないようなそれこそ「23歳、仕事を辞めてバンドマンに。」なんて漫画になる程ありきたりな題材なのかなとか思いつつ。まあおれのは仕事ですらないけど。そんなありきたりな題材の中で自分は生きていきたいと思ったのです。ありきたりの中でも特別でいたいと思ったのです。
なんかボケーっとしてたのにはもう一つ理由があって。昨日は自分たちが4年生で最後の学祭ライブをした日からちょうど一年でした。人生でこんな特別な日ってものがあるんだなって思うほど幸せな時間だったことを覚えています。付き合ってた2年間は出番の時間さえ教えた事の無かった元カノに唯一見に来てと言ったライブでもあります。今思えば気まずかったやろうにごめんなーって。まあ日記見てるか知らんからここで言ったところでしょうがないけど。学科のこととか日常生活の何から何まで手を抜いてた自分が唯一全力で向き合ってる姿を最後に見て欲しかったんだと思います。もう一緒には居られないからせめて頑張ってる記憶をその後の人生に持ってって欲しかったんだと思います。実に青臭えなあ。そんなこともありつつ最後はボロボロに泣きながらみんなで「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」を歌いました。楽しかったなあ。今でも思い出す度にウルっと来ます。もう一年も経ったのか。早いなあ。じいさんになると一年が過ぎるのがJR天王寺から近鉄阿倍野橋の乗り換えぐらい早くなるとよく聞きますが今もう一食のおばちゃんがたまご丼作るぐらいの速さまで来ています。嘘です、親子丼です。何が嘘なのかよく分かりませんが今年の後輩たちの学祭前に一人でちょっと盛り上がってるって話です。今読んでる人は早起きですね。今日も一日元気にやってきましょー。
僕は今から寝ますが。そして9時には起きますが。

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