4年生にもなって英語受けてる私をどうかお許し下さい。
- 田仲哲也
- 2016年10月17日
- 読了時間: 2分
今日友達が二人展してるのを大学内のギャラリースペースに見に行ってきた。
1回生の時から知ってるけど折れずによく頑張ってると思う。ずーっと見てるからだんだん上手くなってってんの知ってるし。
今日はあんま制作乗り気じゃないから居座ってうだうだ喋ってたら「 自分のやつ見向きもせずにもう一人の方見に行かれて悲しかった。」って言ってた。
「無関心」ってなんか作る人間からしたら一生戦っていかなあかん相手やしほんと手強い。
自分が作ったものが見向きもされないのは本当に悲しい。
だって、見て手にとってその結果「あんまり好きじゃないなあ〜」ってなるんじゃなくて見向きもされないってのはその土俵にすら立ててないってことやからな。
ただ、人には好みってものがあるから全ての人に「これいいね!」って思ってもらえるものを作ることは出来ない。たぶん。出来たらいいなとは思うけど。
けど、それでも少しでも多くの人にそう思われたいよね。
だから少しでもいい物を作らないといけないしいつだって手は抜けない。
「こんなもん適当にやったらええねん」って友達とか後輩にしょっちゅう言ってるけど。笑
作家とかミュージシャンとか絵描きとか俳優とかいろんな人が、全然見向きもされなかったけど誰かが「 見つけてくれた。」ってよく言う。
見向きもされずに通り過ぎられることの方がこれから先も圧倒的に多いはずやけど誰かが見つけてくれるのを待ってるしかない。見つけてもらうために精一杯アピールはしないといけないけどね。
「無関心」は怖い。見向きもされないのは悲しい。
誰かおれを見つけてくれ。

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